三姉妹ママぶろぐ

小学三年生・小学一年生・年中の三姉妹の母親です。潰瘍性大腸炎と戦いながら育児、家事、仕事、を不器用に…頑張ってます!

60代義母、大腿骨頚部骨折で入院

●すべってお尻を強打

2月9日(土)の朝、起きてリビングへ行くと早朝から仕事だったはずの同居の義母がソファに座っていました。
義母は「布団を片付けようとしたら、布団持ったまま転んだの。その時、お尻打って痛くて歩けないから今日は仕事休んだんだ。」と言って、転んだ時の事、ソファまでは義父に肩を借りて来た事、その時の状況を聞きました。
その話を聞いている時は動かずに座っていたので、あまり痛そうには見えず、本人も座っている時は「痛い」とは言いませんでした。なので、その時は、そんなに重症だとは思ってもみませんでした。


●車で病院へ

普段から車の運転をしている義母ですが、痛みで歩けないので、私の車の運転で病院まで連れていく事になりました。義母は元々、骨粗鬆症で病院に通っていたので、そこの掛かり付けの病院へ。

その日は土曜日で学校も保育園も休みでしたので、娘3人も連れていく事に。ちなみに義父は車の運転ができないのと、難聴の為、知らない人と話さないといけない病院へは、あまり行きたがりません。

私の車に乗る時は、義父の肩をかりて車に乗り、病院に着いた時は、車椅子を借りて移動しました。
受付を済ませ、整形外科の外来の前で呼ばれるのを待つことに。

義母が「一緒に待ってると、こどもたちが飽きると思うから、終わるまで出かけてていいよ。あとは、看護婦さんに車椅子押してもらうから。会計が終わったら携帯で呼ぶからお願いね。」と言われ、私もこどもが病院内でうるさくすると思い、出る事にしました。
私は娘たちを病院近くの児童館で遊ばせて、待つことにしました。

後から聞いたのですが、外来で診察をした先生に「こんな痛くて歩けない時は救急車を呼んでください」と言われたようです(´д`|||)


●大腿骨頚部骨折の診断

児童館で遊んで待っていると義母からメールがきました。『このまま入院と手術をすることになりました。』と。

驚いて義母に電話をしました。「レントゲンを撮ったら大腿骨頚部骨折と診断されて、入院と手術をしなければいけなくなったの。入院に必要なものをメールするから、お願いします。」とのこと。

義母が夫にも連絡したようで、仕事中の夫から電話がきて『仕事はお昼で早退して帰るから。入院の説明を聞きに行かなくちゃないから、俺が行くから。』という電話でした。

児童館で遊んでいた娘たちに、義母が入院した事を説明し、昼食と荷物を取りに家に帰りました。

夫もちょうど仕事から家に着いたので、お昼を食べ、入院に必要な物をまとめて、私と夫、子供3人を連れて義母の入院する病院へ向かいました。

義母から『インフルエンザが流行っているから面会はできないようです。』とのメールがあったので、夫だけ入院の説明を聞きに病院の中へ入って行きました。私と娘3人は車の中で待つことに。

この時は全国的にインフルエンザが大流行中だったので、家族でも面会はできませんでした。

●入院の説明

入院の説明を聞きに行った夫は30分くらいで車に戻ってきました。入院の説明を聞いただけで、面会が出来ないので、入院の荷物は看護婦さんに渡したそうです。

説明は、面会の事、オムツや入院着などのレンタル料の事、入院に必要な物、高額療養費や限度額適用認定証の事、入院~手術~リハビリの流れなどについて説明されたようでした。

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入院はだいたい3週間~5週間の予定。リハビリでの状態を見て退院を決めるようです。
手術は4日後の2月13日。それまではベッドで絶対安静。

排泄はというと、手術をしてトイレに行けるまでは、尿道に管を入れて、排便はオムツです。骨折前の義母は排泄は何も問題なくトイレでしていたので、オムツはとても嫌そうでした。

シャワーは2週間は出来ないので、「臭くなるから嫌~」と困っていました。が、「シャワーが浴びれないから、面会禁止中で良かった~。」と、普段から人目を気にする義母は、そこは安心していました(^_^;)

消灯時間は夜9時の為、いつも夜遅くまで起きている義母にとって夜9時の消灯は早すぎで、眠れないしテレビも見ることが出来ず退屈のようでした。


全く自由の利かない入院生活は大変そうです。私は必要な物を持っていったり、洗濯物(かなり少量)を持ち帰ったりで、入院先の病院へ通いますが、今の所はさほど負担にはなっていません。退院した時にどれ程、回復しているかで大変さが違ってくると思います。
その事も、これからブログで綴っていこうと思います。


手術の事は、次に続きます。